ろんじえぱぱ 日常力~我がままに~

発達障害児の育児をきっかけに哲学、禅、科学的根拠を取り入れ、日常を磨き自己能力を最大化するブログを発信している40代

断捨離がもたらすポジティブシンキング

断捨離 ポジティブ シンキング

断捨離 ポジティブ シンキング


こんにちは!ろんじえぱぱです!

 

最近実は悲しい出来事が起こってしまいました。3年前に家にやってきたその当時最新のルンバ980(通称”ルンちゃん”)がついに壊れてしまったのです(悲)。

 

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我が家のルンちゃんの歴史

購入した当時は物珍しいこともあり、毎日のように稼働してその性能を楽しんでいましたが、ルンちゃんを最大限発揮するには、障害物をなるべく取り除かなければなりません。そのため、椅子や他細々とした家具などをなるべく邪魔にならないように挙げておく必要があり、その煩わさに年を重ねるにつれ、段々そのトップの座をダイソンコードレス掃除機(通称ダイちゃん)に奪われつつありました。

 

決定的となったのは、1年半前にトイプードル(しーちゃん)がやってきたことです。しーちゃんはケージに閉じ込められるのを嫌がる為、なかなかルンちゃんを稼働することができず、最近はバッテリーを補充してるのみで実質稼動していない置物に成り果てていました。 

ルンバ事件

そしてついに事件が起こりました!ちょっと買い出しの間にルンちゃんを稼働し、しーちゃんをそのまま部屋に置いてきてしまったのです!1時間ほどしてスーパーから帰ると、なんか家中が変な嗅いだことのない奇妙な匂いが充満していました。。。。

 

ただ事ではないことを肌で感じ、ルンちゃんが目に留まると、その惨劇に空気が凍りました。。。。なななんと、ルンちゃんがしーちゃんの〇んちを巻き込み、至る所に巻き散らしているという、私がこの世で考えられる一番無残な光景でした!!!

 

その後、あまりにも我を忘れた私は記憶がほぼありません!昼飯を作るのも忘れ、約2時間ほど床掃除に奔走し、ルンちゃんも怒りに任せて水をつけつつゴシゴシゴシゴシ、、、、匂いは完璧にには消えませんでしたが、できる限り分解して洗浄したつもりでした。その日は午後にブログを書く予定だったので、予定が狂いかなりプンプンモードになっていたのは間違いありません。 

ルンちゃん故障

そしてその後、ルンちゃんを稼働すると、あれれ?ルンちゃんの後輪の片方が動かず同じところをグルグルと回り始めました。何度再起動をかけても同じ現象が起こります。長期保証に入っていたので、修理を申し込もうをしましたが、ネットで調べるとペットの排せつ物の巻き込みは対象外で自己負担とのこと。。。

 

後輪の車輪の交換で考えると修理費は約2万円。。。ちと負担がでかい、と言うわけで他の民間の修理業者を調べてメールを送りました。見積もりを聞いてみると回答があり、相談内容から車輪ではなく基盤が水洗いによりショートしている可能性があり、交換費用は高額になるとのことでした。

 

あのなんでもなかった平和から一転してこの無間地獄に陥った私はもう息も出来なるなるほど絶望しました!そして徐々に落ち着きを取り戻すにつれ、本格的にこのルンバをどうするのか考え始めました。

 

断捨離から学ぶ2つの思考

今世間でよく知られるようになった断捨離。要らないものを捨てて整理整頓し、環境を整えることで思考や行動にプラス作用をもたらす片付け術で、今や世界的に有名になった近藤麻理恵さん(通称こんまり)の”ときめく片付けの魔法”などが話題になってます。

 

このルンバ事件を通して断捨離を考えた時、私には”過去”と”現在”の二つの思考で挟まれていることに気づきました。 

過去の思考

サンクコスト

『サンクコスト』というのはご存じでしょうか?Wikipediaでは埋没費用と呼ばれ『事業や行為に投下した資金、労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止をしても戻ってこない資金や労力のことを指します。

 

10万近く払った家電はは数少ないですし、しかも掃除機にです!それだけ大金をつぎ込むと当然『もったいない倫理』から捨てずに何とかしたい払った価値を取り戻したいという『サンクコストバイアス』に陥ります。現在の状況だけを考えると全く投資した価値に見合ってないにも関わらず、ただ支払った額が高額だったためになんとか失いたくないという現状を無理やり肯定する心理状態です。この金額が一番心理的にネックになってました。

 我が家に来た時の感動と満足感

過去の美しい思い出が蘇ります。最新の技術に感動し、隅々まで掃除してくれて、ほんとうにこの掃除機は優秀だと感じたものです。スマホのアプリを通して遠隔操作もできて、まさに今のIOT家電の先駆者でした。

直前まで稼働できていた思い出

事件が起きる直前までは、いつも通りのパフォーマンスで動いていた記憶が私の脳裏をとらえて離しません。もうすでにその状態になっていないのになかなかその情景を記憶から払いのけることが難しかったです。 

現在の思考

ほとんど稼働していない

実際しーちゃんを飼うようになってから、ほとんど稼働してなかったのが現実です。家族も次第に興味を示さなくなり置物と化していました。私だけがサンクコストバイアスから、時折無理やり稼働していましたが、心の中ではやはり私も無理やり感が出ていたのは認めざるを得ないところです。

高額の修理費用がかかる

確かに10万円近い大金を投じたものの、現在の状況は故障している状態です。しかもあまり動かしていないにも関わらず、さらに3万以上の費用が掛かる可能性が生じています。果たして修理をして直す価値があるのでしょうか。言い方を変えれば、現在ルンバは資産ではなく新たな負債を生み出しているとも考えられます。

直しても変わらぬダイソンに次ぐ第二のポジショニング

 たとえ修理して直したとしても、やはり掃除機のポジショニング争いでは、ダイソンことダイちゃんが第一位であり、第二位の座は変わりません。つまり、事件直前の前の状態に戻るだけで他には何も変わることがないことに気づきました。 

断捨離は現在を優先する思考

この2つの思考の間でしばらく葛藤していましたが、ついに私は断腸の思いでルンちゃんを破棄する決断をしました。過去の思い出がどうであれ大切なことは、『このルンバが現在、そしてこれから本当に必要か』という現在進行形の思考です。

 

購入金額の高さや機能性を考えると当然修理した方が得と考えますが、現状、我が家ではルンバを直近までほとんど使っていなかったことと元の状態に回復するために更に本体の3分の1以上の修理費用がかかるという二つの事実があります。

 

以前の私の思考では、おそらく『もったいない』という『サンクコストバイアス』に負けて、しぶしぶ修理費用を払い、元の状態に戻していたと思います。もちろん、それも正しかったかもしれません。全てのものごとのおいて『正解』はないのですから。

 

しかし、今の私は『今を生きる』現在の思考を取り入れています。つまり過去に思いを巡らすよりも現在の状況を重視し、さらには現在の行動を通じて未来にどう影響を与えるかを重視する考え方に変わってきていました。

 

ルンバを捨てるかどうかに正解はありませんが、ルンバを残すという考えは現在の私の思考とは相容れないという判断で、『破棄』という行動をとったことになります。 

過去を捨てて得たもの

 私がこのルンバ事件を通じて感じたのは『断捨離』は『現在』を生きる思考であり、その思考を維持する為、まわりの環境から変えていこうという思考だということです。

 

たった一つの家電ルンバを捨てることすら、金額や思い出に執着し、なかなか決断出来ませんでした。それだけ過去という記憶は脳裏に焼き付き、なかなか捨て去ることは難しいものです。

 

 しかし、過去の思考を一旦横に置いて、現在の思考で考えてみると、本当の必要性が分かってきました。破棄する直前まではウダウダ躊躇していましたが、いざ片付けが済むと、なぜか不思議と気持ちが軽くなってきました。

 

この気持ちは実は私自身が知らず知らず毎日頭の片隅にあった”勿体ないから稼働させなきゃ”という思い、つまりはストレスだったのです。

 

ルンバの前を通るたび、このストレスは私に微々ながら私に悪影響を与え、裏で稼働しているスマホアプリのように、私のワーキングメモリーの数パーセントですが占有していたと考えます。

 

このストレスが取り除かれることによって、思考がより整理され余計なことを考えることが一つ減ったことは、将来にわたって隠れたメリットを得たことを確信しています。

 まとめ

今回のルンバ事件は金銭と労力を重ねたわりには破棄という残念な結果になりましたが、断捨離の心理を学ぶ良いきっかけになったと考えています。過去の思い出は確かに大切ですが、そこに浸ってしまうと現在や未来に向けて行動する力を弱めてしまう副作用があります。

 

ものや人などに取り囲まれる中で、過去のサンクコストバイアスや世間体から切ろうと頭をよぎっても切り離せずに、ずっと頭の片隅に知らず知らずに住み着く負のストレスが意外に多くあることに気づかされました。

 

『切ってしまえばすっきりするんだけど、なかなか決断が難しい』

 

みなさんも、もしまわりの何かに対してこのようなもやもやを抱えていたら、それは格好の『断捨離』のサインであり、隠れたストレスの証拠です。みなさんが生きている『今ここ』こそ、もっとも大切にすべき瞬間であり、そこが乱されると延長線上にある未来にも影響がでかねません。 過去が大切か、現在が大切か。まさに断捨離は生き方を問われる思考の儀式だということを今回の件を通じて痛感しました。

 私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。


ろんじえぱぱ