ろんじえぱぱ 日常力~我がままに~

発達障害児の育児をきっかけに哲学、禅、科学的根拠を取り入れ、日常を磨き自己能力を最大化してFOREVER 35を目指す40代です!

【発達障害 育児】娘の自閉症の発覚から育児で苦労したことと特別支援学校に行ったメリット

自閉症 育児 苦労 特別支援学校 メリット

自閉症 育児 苦労 特別支援学校 メリット

こんにちは!ろんじえぱぱです!
 

夏真っ盛りになってきましたね。先週は娘と二人で市内の市営プールに行ってきました。私が子供の時も遊んだプールでじつに30年ぶりの訪問です。

 

以前私が遊んでいた施設で今は私の子供が遊んでいるのを見るのは時の流れを感じて感慨深さを感じた瞬間でした。

    

娘の自閉症がわかるまで

私の娘が生まれたのが2010年の9月。1歳過ぎには歩くことができるようになって、ごく一般的に成長していきました。

 2歳 目を合わせない

始めに『うん?』と気づき始めたのが2歳中旬でしょうか。娘はまだ言葉が出なかったのですが、言葉をかけた時に私たちと目がうまく合わないことにみな気づき始めてきました。

 

その当時は『自閉症』という言葉は知らず、個性の一部として大きな問題にとらえてなかったように思います。

2歳 クレーン現象

時を同じく、娘がお菓子など欲しいものを要求する時にわたしたち親の手をその場所まで引っ張って行って欲しいもの求める『クレーン現象』が頻繁にありました。

 

私たちはその現象を言葉が出るまでの一時的な現象と考え、いずれ言葉がでるようになれば解決すると思っていたので、たいして問題視していませんでした。

2歳 ママ言わない

2歳児の健康診断があり娘を連れて行ったのですが、途中で検診の途中で暴れだして、完全に終了することができませんでした。

 

その当時診断した先生が少し言葉の発達が遅れているとアドバイスを頂いたのですが、当時、育児ストレスがたまっていたことや娘に対する愛情からアドバイスをあまり重くとらえずにそのままにしていました。

 

娘がようやく『ママ』という一言を発したのはすでに2歳を過ぎてしばらく経ってからでした。

2歳 自閉症の診断がされない

2歳児中旬になり、さすがに言葉がたどたどしいことに焦りを感じ始めた私たちは近くの総合病院で診断を受けに行きました。

 

診断結果はグレー。自閉症の傾向があるが、まだ3歳くらいになるまで正式に診断できないとのことでした。当時私の父親が肺炎で倒れ、集中治療室にいる状態の中で医師の診断を聞いた私は人生初めて絶望を感じました。

 

過去も真っ暗闇。未来も真っ暗闇。しかも正式な判断は今下せないとのことで、もやもやして爆発しそうになる気分を抑えながら病院を後にしたことを今でも鮮明に覚えています。

3歳 2語文どまり

その後も娘の目が合わなかったり、クレーン現象、言葉がでないなどの自閉傾向が強まってきたため、テレビを消したり、色々自閉症を改善するため、いろいろなことを自宅で試みましたが、やはり言葉の発達は遅れ、やっと『おかし ちょうだい』など2語文が辛うじて言える状態でした。

3歳 娘の自閉症との診断

3歳を過ぎてまた同じ医師のところに行きましたが、まだ正式な診断ができないと言われ、しびれを切らした私たちは市内の保健センターを通じて別の病院と市内の療育教室を案内していただきました。

 

そしてようやく軽度自閉症との判断が正式に別の医師より下されました。診断を受けても、もう1年以上自閉症の傾向に付き合ってきた私たちはもう何も驚きはありませんでした。

 

脳内のドーパミンを分泌を促し、自閉症を改善する『ドパストン』と呼ばれる処方薬をその後毎日1年以上にわたって飲み続け、同時に療育教室に週に1-2回ほど通って少しでも自閉傾向の改善を計りましたがあまり目立った効果はなかったように思います。

自閉症の育児 幼稚園時代に辛かったこと

自閉症児の運動会と発表会

幼稚園時代時で一番ほろ苦い思い出は団体行動の場面です。運動会や発表会など、本来は自分の子供がどこまでパフォーマンスを発揮できるのかを親が楽しむ場だとは思うのですが、私たち自閉症の親にとっては地獄以外何物でもありませんでした。

 

運動会や発表会、卒業式などの時は常に先生方がそばについて頂き、手厚くサポートしてくださるのですが、私の娘は大声や奇声を出したり、地面に寝転がったりして、まったくあるべき児童の体を成していませんでした。

 

私の妻が見るに見かねて、運動会をボイコットしたこともありました。それほど感じた『やるせなさ』と『恥』。普通の子との違いをまざまざと見せつけられて、何度荒ぶる場面があったか分かりません。

 

感情が渦巻き、自分の娘を本当に憎らしいと思ったことも幾度となくあります。このあたりで私たちは普通の子との見えない壁を感じ始めていました。

自閉症児の進路選択【一般小学校か特別支援学校】と一般小学校への入学

幼稚園年長が終わるとついに小学校に入学です。この時私たちには2つの選択肢がありました。一般小学校への進学か、特別支援学校への進学です。

 

現在は一般の小学校でも特別支援学級があり、自閉気味の子供でも一般クラスとの間を行き来しながら、なるべく自分のペースで勉強ができるようにカリキュラムが組まれています。

 

私たちは熟慮の末、娘を一般小学校に通わせることに決めました。理由は娘をなるべく一般の子供たちと混じり合わせたいと願う、まだ普通の子を夢見る願望から来ていました。

 

幸い、学校説明の中で各一年が終了した段階で一般小学校から特別支援学校学校への編入が可能との説明を受けてぎりぎりまで自分の娘の能力を見極めたいと思い、小学校に送り出すことに決定したのです。

自閉症育児で小学校で苦労したこと

小学校の集団行動が苦手

しかし私たちの願いは初日から暗礁に乗り上げます。初日の入学式にそわそわ落ち着かず地面で寝転がって奇声を上げる我が娘。静まり返る体育館。もう思い出すだけで地獄でした。その後何をやったのかショック過ぎて記憶にまったくありません。

 

私が今の小学校で感じたことはすごく団体行動の意識が強いことです。もちろん、悪く言うつもりは一切ありません。ただ私の娘が一番苦手とするところを強要されることが本人も私も、そしてそれをサポートする先生もみな辛かったと思います。

 

しかし小学校は勉強と同時に社会の始めての単位である集団行動を学ぶ場でもあります。一学期の内は先生も苦労されて一般級で娘をなるべく過ごさせましたが、授業はもちろんついていけず、気分が悪ければ奇声や寝ころびが頻発するので、クラス全体の活動に支障をきたします。

 

二学期過ぎからはほぼ特別支援級で担任の先生にサポート受けながら、過ごす時間が多くなっていきました。各学校によっても違いますが、娘が通った学校は特別支援級に2人の先生がいて下さり、娘にはほぼつきっきりでサポートを頂きました。

自閉症児へのサポートと知識の限界

特別支援級では手厚いサポート頂き、今でも本当に感謝しています。しかし同時に一般小学校ではあくまで一般の小学生が主体になるため、娘はそれに必死についていく形になります。その見えないプレッシャーが娘の気分をさらに害し、ますます暴走気味の行動に駆り立てた可能性もあります。

 

特別支援級で手厚くサポート頂いた先生方はあくまで一般の小学生を指導する知識はあっても自閉症児などの教育に対してはあまり精通しておらず、手探りで行っている状態でした。

 

手厚いサポートに感謝を申し上げながらも、徐々に一般小学校の自閉症児へのサポートの限界を感じ始めていました。

小学校から特別支援学校に編入

特別支援学級の先生方にお願いし、市の教育委員会を通じて娘を特別支援学校に編入するよう嘆願書をお願いし、無事受理されたため、2年生から特別支援学校に移ることが決定しました。

 

小学校最後の日では娘をサポートしてくだっさた担任の先生方を始め、たくさんの先生方が小さな卒業式を行ってくれました。小学校の一年間の苦労を振り返って、いかに娘がサポートを受けてきたかをあらためて実感し、涙と共に先生方に感謝を申し上げました。

特別支援学校に転校して感じたメリット

特別支援学校のバスの送迎

一般の小学校では学校まで集団登校と下校しますが、残念ながら娘は集団行動ができない為、行きは私、帰りは妻が学校まで小学生に交じって送り迎えをしていました。今思えば一年間良くやり通したと思います。

 

毎日教室の中まで通い、娘がカバンや宿題をキチンと出すところまで見届けて、それから仕事に行くことを繰り返していました。それがバス送迎になって私たちの精神の負担がかなり和らぎました。

特別支援学校での娘のストレス減少

一般小学校では主役はクラスの小学生。娘は追いかける側になります。常に遅れを取り戻そうと勉強や集団行動へのプレッシャーを受け続けて、ほぼ何もせずに帰ってくることもあったみたいです。

 

特別支援学校に入れば、もう娘は例外な人ではありません。その意味で初めてクラスの一員となり、一律の教育を受けて、はじめて娘が自分の居場所を見つけたと感じています。

 

今でも学校へ行くことは苦ではなく、長い休みのあとでも学校に行くことが楽しみなようです。親としては大変安心できます。

特別支援学校の先生のサポート体制

私の娘が通う特別支援学校では6人の生徒に対して3人の先生方がサポートしてくださいます。これは本当に手厚いサポートで驚きました。

 

マンツーマンに近い指導で個人の性格や能力に合わせて、課題に取り組んでくれます。発達障害に関する知識も豊富で、何よりも安心して娘を通わせることができます。

特別支援学校での娘の学び

特別支援学校の教育の目的は自閉症児や発達障害児がいかに自立して生活を営んでいくかに教育方針を置いているため、小学校のような学問の面では正直期待はできません。勉強の内容だけをみれば、小学生の高学年でもまだ足し算引き算の可能性もあります。

 

しかし自閉症児の育児をしている私たちにとっては勉強も大事ですが、大切なことは如何に娘が自立し、コミュニティに入ってその中で仕事を覚えて生きていけるかどうかです。

 

それを実現する為、いかに友達と仲良くなるか。一緒に遊ぶ際のルールを順守したり、順番を守ったり、行儀よく給食を食べたりと、一般の小学生からすれば一見見過ごさせそうな当たり前のことを教育して頂いています。

 

子供を持つと将来の職業や大学などつい大きな願望を抱きたくなりますが、自閉症児の将来は如何に地に足をつけて生きていくかにスポットが当てられます。

 

こう聞くと子供の将来は夢がなくて虚しいように感じますが、最近私はそのように考えなくなりました。なぜなら、そのように夢がないと思うのは私たち健常者の気持ちであり、自閉症の人の気持ちを代弁しているからではないからです。

 

たしかに、自閉症によって大学などの進路の夢は断たれたかもしれませんが、いまや学歴など関係ない時代、そもそも大学に行く意味まで問われています。

 

私は娘が成長する中で学業とは関係のない娘独自の長所を見つけ、それを伸ばしてあげるようサポートすることが、本当に娘が満足する人生を送れるのではないかと考えています。

まとめ 

当ブログを始めた当初の理由はこの記事のような自閉症児の育児に当たって何を学んだかを中心に記事にする予定だったのですが、いつからか記事内容が変わりずっとライフスタイル系で記事を書き続けていました(笑)

 

現在は自閉症の育児を悲観的とは一切思っておらず、むしろ今の私が変わるきっかけになった良い契機ととらえる程メンタルが成長しました。

 

自閉症や発達障害児を持つご両親はみな強いです。強くならねば生きていけないからです。しかしそこに私が一般の道から逸れ、私独自の道を模索するようになった原点になっています。

 

過去は過去で変えることはできません。しかし過去の解釈を変えて未来への力に変えることができます。これまで何もうだつの上がらなかった私を根本から変える契機となった娘に対しただ感謝するばかりです。

 

娘よ。今までありがとう。これからもよろしく。

   

私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。

 

ろんじえぱぱ